いろんな まいにち.

わたしらしく、記録するだけ。

自分を分析

私にとって、言葉は理性そのもの。

 

 

私が発する言葉は、必ずしも本音・本心ではないけれど

私が弾いた曲や作った料理は、嘘をつくことも、見栄を張ることもできないな

と、最近よく思う。

 

なんとなく、言葉以外のところは私そのもの、という感じがする。

 

 

そして、私はその本質的で感情的な自分を

人に味わってもらうことがすごく恥ずかしく感じる。

 

 

 

反対に

生徒会に立候補して体育館で演説したり、

卒論発表で前に出て話をしたり、

大きい声でみんなをまとめたり、

 

そんなことは全部理性ですることなので

私にとってこれらは心を使うところではなく

そんなに難しいことではないと思う。

これは私が能力があるのではなくて、

そういう性分なんだと思います。

 

 

でも、小さい頃からお遊戯や、ピアノの発表会はとても恥ずかしかった。

ずっとしてたテニスも、自分のプレーに全く自信がなくて、

読書感想文や絵を描くのも苦手だった。

 

特にこれらを家族に見られることが恥ずかしかった。

 

 

どれもこれも、めちゃくちゃ下手だったから恥ずかしかったわけではなくて

自分の感性、心の中を見られているような気がして恥ずかしかったんだと、今になって思う。

 

 

そんな風に、小さい頃から自分自身の感性みたいなものから目を背けていた私も

大人になって自分の心に目を向けてみたらすごく楽しいことに気づいた。

 

 

これまでは小さい小さい脳みそだけ使ってあれやこれやと頑張っていたけれど、

今は、手と目と口と耳と鼻、それから心を使っていて、脳みそはほとんど使っていない。

 

 

今は、広い空を見たらスカーっとするし

雨がザーザー降るのは意外と落ち着く。

心がホッとするのは、家のご飯とお風呂とベット。

パン生地を触るのはとても気持ちよくて、

ピアノを弾いたり本を読むのはいろんな気持ちになる。

 

仕事帰り、自転車に乗ってオリオン座を探したり

はぁ〜っと息を吐いて、疲れた体で一日の終わりを味わうこともすきになりました。

 

 

だんだん人と会わなくなったのは、こういう理由でようやく自分の感性を楽しんでいるからみたいです。

 

 

それと、今の私に会っても多分そんな楽しくないかなと思うので、あまり自分からはオススメしていません。

 

それでも誘ってくれるお友達は心から大切にしたいなぁと思う。

みんないつもありがとう。

 

当分はこんな感じでいくつもりです。

私はとっっても楽しいので。

 

 

と、つらつら自分を分析したけれど

これはやっぱり言葉なので私そのものではありません。

 

 

きっと、私に触れられるのは極々一部の人なんだと思います。

つかみどころのない人に少し、憧れているのでこんな感じにしています。